「商売ってのは結局は人通りの掛け算だ。一日に何人が店の前を通るか、そのうちの何割が店に入るか、そのうちの何割が物を買って帰るか、その単価 × 25日が月商、その計算でしかない。だから、あなたの店でそんなこと始めても、ビジネスにならないよ」

そんな話を聞いた。ましてや野菜。仮に一日に全部売れても儲けは何十円、何百円の世界。
でも。だから。
だからぼくは、ぼくの町で野菜を売る。今日はそんな話。
「大学堂で野菜販売を始めたって聞いたけど、大学堂ってホームページ屋さんでしょ?なんで野菜売ってるの?」という疑問にお答えすべく。


どこで買える?だれから買う?

物流がこれだけ発達して、いつでもどこでも、日本全国どころか世界中の食べ物が手に入るようになった。それはとても良いこと。
じゃあ、自分の住むところ、地元の野菜が欲しいと思ったとき、いきなり問題にぶち当たった。どこで手に入るの?そもそも地元で野菜って作ってるの?こういうのをことわざで何ていっただろうか……。灯台……。灯台……もと暗し……。だめだ。ここまで出かかってるのに、全く思い出せない。

遠くの情報が簡単に手に入り、遠くの物が簡単に手に入るとても便利な世の中で、あなたに伝えたいことが届かない。あなたにあげたいものが届けられない。
野菜を作っても誰も知らないし、野菜が欲しくてもだれが売ってるか知らない。「地元の野菜を食べたい願いなんて、地元に明るい人の特権なんだろうな……。移住してきたばかりの私たち家族は、食べられないだろうな……」この町の人が作った、とれたての野菜を子供といっしょにたくさん食べたい。そんなささやかな願いはかなわないだろうとあきらめかけていた。

幸いにも、たくさんの方の協力とご尽力のおかげで、地元の野菜を手に入れることは出来た。ここを端折ると急展開のようだが、実際には1年越しの活動を通じてまとまった話ではある。だけど本筋ではないのでここでは割愛するとして、とにかく地元の野菜を売ることが“できる”ことになった。
できるから、やるの?やらないの?選択肢はあった。選択権も持っていた。できる。できるし、やる。決定したのは、ぼくだ。

お店屋さんごっこ?いいじゃない

野菜を売ると決めたとき、必ず守ろうと思ったことがある。それが、手作りで売る、だ。
お店の内装を、きれいにお金をかけて整えることもできたかもしれない。それもとっても良いことだと思う。だけどぼくは選ばなかった。代わりに、商品の陳列から値札、看板にいたるまで、従業員の手作りでやると決めた。

それには狙いがあった。短期的に見て、内装に手間やお金を投資した方が、お店としての体を保ちやすく、売り上げも見込めるかもしれなかった。卵が先かニワトリが先かはわからないが、お客はお店屋さんらしい外観のお店に買い物をして、お店はお店屋さんらしい外観を構えて客を待つ。
それをあえてしない選択をした背景には、この当たり前とも思えるループを断ち切ってみたいという思いがあった。

本当に、本当にお店はお店らしい外観をしていないといけないんだろうか?何十年か前まで、地元には個人商店があって、今みたいなおしゃれなお店っていう感じじゃなかったし、そういういわゆる普通の外観のお店に買い物に行ってた。たったここ数十年で強力な資本が入ってきて、お金をかけたお店しか生き残れなくなったけど、だからといってぼくらがその競争に乗っかっても、資本をどれだけつぎ込めるかの勝負になるのは目に見えている。そういうのに疲弊したのが、今の地方都市なわけで、その地方都市の再生を目指すのに資本力勝負の壇上に登りたくなかった、というのがまず一つ。

小さく発展するお手伝い

よく田舎は不便、田舎は不便、というけど、そもそもこの町が田舎かどうかの議論は置いといて、都会と比べれば相対的に不便と感じることには異論は無い。不便だと思う人が多いから住む人が減っていく、その理屈もわかる。

だが、今よりもっと不便だった昔から、この町には人が住んでいた。

不便だから衰退したんじゃない。ここ数十年で、資本に人を吸い上げられてしまっただけだ。
住みやすさや暮らしやすさって、本来はもっと別のところにあるはずなのに、資本をたくさん持ってる店のある都市が、便利だ便利だと宣伝してるに過ぎない。都市が資本を使って宣伝するのは一向に構わないが、相対的に見て、それ以外の町が不便だと感じられるようになった。そんなものに、自分の住む町が負けてしまってたまるかという思いが、あるにはある。

とはいえ、誤解しないで欲しいのが、都会憎しでやっているわけではない。「巨大資本は敵だ〜」といった何かしらの思想強めな主張がしたいわけでもない。ただ、地方が再生するとき、町に住む人々がちょっとの工夫でお店を始められたら、もっと町は賑やかになるんじゃないか、ささやかながらもその方向の道を作るお手伝いを大学堂ができれば、野菜販売を始めた意味があると思う。そういうことがしたくて、そもそも会社を作った。

コミュニケーションする八百屋

黙ってレジにかごを出せばお金が表示されて、お金を支払ってレシートとおつりをもらう。たくさんの人の努力で、買い物はとても便利になった。そのほうが売る側も効率が良いし、買う側も何も考えなくて良い。便利はとても良いことだ。
でも便利になったから、買い物から作業だけが残った。

別に懐古主義ではないし、昔はこうだった、だからこう戻すべきと言うつもりもない。誤解されやすいけど。
昔はこうだった、と言うつもりもないけど、買い物にコミュニケーションを戻したい。

もしよければ。
もしよければでいいんだけど、ぜひうちとコミュニケーションして、野菜を買ってほしい。
スタッフが毎回一所懸命企画して、用意して、野菜を売ってる。その野菜を買う、そこにコミュニケーションがほしい。
ユーザー数何万で、売り上げが何万、とかの巨大なマネーゲームじゃないからこそ。
あなたに野菜を買って欲しい。あなたが野菜を買ってくれれば、わたしは何十円か儲かる。
たったそれだけなのに、人と人どうしのコミュニケーションが生まれる。差額のお金はこの町の野菜生産者に渡り、次の野菜の苗や肥料、畑の獣害避け設備に使われる。町で野菜が作られ、あなたに野菜が届く。
「ビジネスになんないよ」と言われるからこそ、思う。ビジネスだけが地方再生につながるんだろうか、商業的に成功しなければ衰退する世の中で、そのままで次の世代に渡して、本当にいいんだろうか。と。

大学堂の商売に、数字はあまりない。
あるのは、“誰に?” もしくは、”あなたに”

いつ売ってるの?

ここからは商売の話になりますので文体を変えます。
今のところ残念ながら不定期なので、販売できる時がきたらSNSなどでお知らせするしか方法がありません。
LINEが一番便利で、なんと取り置き注文も受け付けています!下のボタンをクリックすると、大学堂公式アカウントを友だち追加できます。
LINEでの地元野菜の取り置き注文。これは実はとっても画期的なことでして、それについての詳細な記事を後日アップしますので、そちらもお楽しみに!

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